プリチャッツ・ロード 3番地

イギリスの大学院に留学し、無事卒業。帰国後の日常を綴っています。

数えきれないほどの crap を通り過ぎる: "Crap Theory"

今日も4:40に起きれましたよっと。

4:30には眠りから覚めたんだけど、起き上がったのは4:40。こういう時、どちらが"起きた時間"なんだろうね。「起床」というくらいだから、やはり4:40、起き上がった時間かねぇ。そう思うと、起きたい時間の10分くらい前に目覚ましをセットしておくのは効果的だね。

 

さて、今日も早起きできたし、やりたいことがあったので朝カフェです。

5月が今日で終わるので、6月の Planning をしたいのが一つ。もう一つはこのブログを書きたかったから。それは音楽を通して気づいたこと。

 

数多の "crap"

最近よく考えることがあって、それは「いいものに出会うまでには、数えきれないほどの crap(ゴミ屑みたいなもの)を通り過ぎる」ということ。

12,13歳くらいから、僕は良さげな音楽があると調べてポータブルプレイヤーに追加する、ということを繰り返している。今でも、良さげな音楽に街で出会えばすぐ調べるし、Spotifyではプレイリストをザッピングして、気に入った曲があればPlaylistに追加する。その過程では、最初の数秒、なんなら数小節聞いただけで自分に fit しないと思えば、すぐに skip する。ラジオを聞いてる時は、skip せずにスルーすることになるけどね。

それをずっと繰り返しているので、これまでの自分のplaylistには素晴らしい曲がたくさん溜まって来ている。

 

同様に、服を選ぶ時でも、「これはいいな」「欲しい」と思えるものに出会うまでに、自分に fit しないものに数えきれないほど触れる。実際にタッチして質感を確かめることもあるし、目で見てすぐに「なし(買わない)」と判断することもある。

本屋さんでも、「面白そう」という本に出会うまでには「微妙」「面白くなさそう」「読みにくそう」という本をいくつも通り過ぎる。映画も同様。

1回しか経験ないけど、恋愛でも、本気で好きになれる人に出会うまでに、「合わない」と思う人にたくさん出会うと思う。少なくとも自分はそういう経験をしてるし、友人にもそういう人はいる。

 

何が言いたいかと言うと、この

「いいものに出会うまでには、数えきれないほどの crap(ゴミ屑みたいなもの)を通り過ぎる」

というのは人生の色々なところに当てはまるんじゃないかな、ということ。

 

勉強方法なら、いくつも「自分には合わない」と思うような勉強法を通り過ぎた後に、「これは自分に合う」という勉強の仕方に出会うんだろうし。

Careerでも、実際にやってみて「これは合わない」「面白くない」「やりたいことじゃない」という過程を通り過ぎて、ようやく「これは楽しい!」とか「やりがいがある!」「やりたいことだ!」というものに出会えるんだと思う。

ネット記事を読んでいる時ですら、最初の数行読んで「あ、これは大したことない記事だわ」ってすぐに判断してそのページ閉じるでしょ?そういうこと。

 

ただキャリアにおいて洋服や音楽と違うのは、そう簡単に試すこと(試着や試聴)ができないこと。そういう意味では、インターンをしておけばよかったと心底思うのだけれど、今からでも遅くはないのだろうか(どうだろう、あとで考えよう)。

 

まとめ

とにかく、やはりいいものに出会うまでには、数えきれないほどの crap を通り過ぎる必要があると思う。「お試し」が難しいとしても、それは万有の法則であるかのごとく成立していて、結局は何にでも当てはまる。良いもの・手放したくないものに出会うまで、途中で出会う多くのものはゴミ屑みたいなものになってゆくのだ。ゴミ屑とはいかないまでも、自分に合わなかったりして、結果として waste になる。これはどんな場面にも当てはまるんじゃないかと思う。

 

これを今すぐ、どう生かすか、みたいなところまでは考えが及ばないけれど、そういう theory があることを分かっていれば、少しは生きやすくなるんじゃないかな。

自分も、きっと誰かも。